東京高等裁判所 平成5年(う)1370号 判決 1995年10月31日
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金三〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
東京都港区《番地略》株式会社甲野品川埠頭物流サービスセンターで保管中のアブラソコムツ約一万一一六〇キログラム(平成三年東地庁外領第三一三五号符号11及び符号12)及びアブラソコムツの加工品一〇甲(平成三年東地庁外領第五七八四号符号1)を没収する。
原審及び当審における訴訟費用は全部、被告人の負担とする。
理由
一 本件控訴の趣意は、弁護人川口雄市作成名義の控訴趣意書及び被告人作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。
二 被告人の控訴趣意中、原審には管轄がない旨の主張について
所論は、要するに、本件について土地管轄があるのは、千葉地方裁判所であって、東京地方裁判所には土地管轄がないから、原審が本件につき実体判決をしたのは、不法に管轄を認めたものであるというのである。
しかしながら、原審記録を調査して検討すると、被告人は、平成三年七月一五日、「法定の除外事由がないのに、平成三年四月四日東京都中央区《番地略》有限会社乙山商店において、有害な物質が含まれる食品であるアブラソコムツの加工品一四甲を、同社に対し、代価一四万一、六〇〇円で販売した」との公訴事実で起訴されたものであるから、右被告事件について、東京都が刑訴法二条一項にいう犯罪地であることは明らかであり、したがって、東京地方裁判所に土地管轄があることはいうまでもない。また、同年九月一一日に追起訴された事件については、同日付け起訴状記載の公訴事実に照らし、犯罪地は千葉県であるものの、関連事件として、東京地方裁判所に併合管轄があり、さらに、同年一二月二五日、追起訴された事件についても、同日付け起訴状記載の公訴事実に照らし、犯罪地も東京都である上、関連事件として、東京地方裁判所に併合管轄もあることが明らかである。すなわち、原審が、本件各被告事件につき、弁論を併合し、実体審理を行って、被告人に対し有罪判決を言い渡したことが、不法に管轄を認めたものでないことは、明白である。論旨は、理由がない。
三 弁護人の控訴趣意第一(理由不備又は理由齟齬の主張)について
1 所論は、要するに、原判決は、罪となるべき事実第一ないし第三の各事実において、不法に販売し又は販売の用に供するために貯蔵した食品として「有害な物質が含まれる食品であるアブラソコムツ(又はその加工品)」と判示しているが、「有害な物質」の中にはいろいろな物質があるから、犯罪事実としては、いかなる物質を指して「有害な物質」というのかを明示すべきであるのに、これを判示しておらず、一方、原判決の「補足説明」中ではアブラソコムツに含まれているワックスが有害物質であると認定しているのであるから、原判決には判決に理由を附せず又は理由にくいちがいがある違法があるというのである。
2 そこで検討するに、原判決が、罪となるべき事実第一ないし第三の各事実において、不法に販売し又は販売の用に供するために貯蔵した食品として「有害な物質が含まれる食品であるアブラソコムツ(又はその加工品)」と判示するにとどまり、アブラソコムツにいかなる有害物質が含まれているのか摘示していないことは、所論指摘のとおりである。
ところで、原判示の各事実に適用される罰条は、食品衛生法三〇条一項、四条二号であるところ、犯罪構成要件を定める同法四条は、柱書に「左に掲げる食品又は添加物は、これを販売し(不特定又は多数の者に授与する販売以外の場合を含む。以下同じ。)又は販売の用に供するために、採取し、製造し、輸入し、加工し、使用し、調理し、貯蔵し、若しくは陳列してはならない。」と規定し、二号に「有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは附着し、又はこれらの疑いがあるもの。但し、人の健康を害う虞がない場合として厚生大臣が定める場合においては、この限りでない。」と規定しているのである。したがって、被告人が食品を販売し又は販売の用に供するために貯蔵した行為が、右規定に違反するかどうかは、当該食品に有害な物質が含まれていることが明らかなときは、その食品名の摘示により、具体的に明白になるということができる。そして、本件においては、後記七認定のように、アブラソコムツ及びその加工品が客観的に、人の健康状態に物理的に危害又は不良な変更を引き起こすものであるのみならず、本件各犯行当時、そのようなものとして社会的に認識されているものであったのであるから、販売し又は販売の用に供するために貯蔵した食品が「アブラソコムツ(又はその加工品)」であると摘示することにより、犯罪構成要件に該当する事実は十分に具体的に特定されたということができる。また、原判決は、その「補足説明」の項の説示において、アブラソコムツの肉中の脂肪に含まれるワックスエステル(以下「ワックス」という。)が一定量以上含まれていることが「有害な物質」が含まれていることに当たる旨説示しているのであるが、右説示は、まさに補足的な説明であって、罪となるべき事実と別個に犯罪事実を認定したものではない。
したがって、原判決が、罪となるべき事実第一ないし第三の各事実において、「有害な物質」を具体的に特定しなかったことで、判決に理由を附さない違法があるものでもなく、また、罪となるべき事実第一ないし第三の各事実では食品に含まれている「有害な物質」を特定していないことと、「補足説明」の項では、アブラソコムツに含まれるワックスが「有害な物質」に当たる旨説示していることとの間で、理由にくいちがいがあるものでもない。論旨は、理由がない。
四 弁護人の控訴趣意第三の二(審理不尽の主張)について
1 所論は、要するに、次のようなものである。すなわち、原判決は、アブラソコムツがワックスを含有するから、食品衛生法四条二号にいう「有害な物質」が含まれる食品であると認定しているが、からすみ等ワックスを多量に含む食品を有害食品とは認定していない。このように、一方においてワックスが問題とされ、他方においてそれが問題とされない根拠は、摂取量の多少にあると考えられるから、人がどの位ワックスを摂取した場合、人体に有害となるのかについて、審理・調査しなければならないのに、原審は、この点を全く審理していない。このことは、とりもなおさず、審理不尽であり、したがって、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるというのである。
2 そこで、原審記録を調査して検討するに、原審における審理過程において、アブラソコムツのワックスを摂取した場合に人体に有害といえるか否かについては、検察官及び被告人(弁護人)とも十分にその主張を明らかにし、双方から証拠調べの請求があり、必要な範囲でこれが採用されて、証拠調べが行われたことが明らかである。すなわち、検察官から、東島弘明(厚生省生活衛生局(旧環境衛生局)乳肉衛生課課長補佐。なお、証人の肩書は当時のもの。以下同じ。)をアブラソコムツが食品衛生法四条二号に該当する理由及びその判断の経緯等を立証するための証人として、鹿山光(水産化学あるいは食品工学を専門とする福山大学工学部教授)をワックスの毒性を立証するための証人として、沢田俊夫(消化器外科学を専門とする東京大学医学部第一外科の医師)をアブラソコムツ(ワックス)を食した場合の人体の影響の有無、内容を立証するための証人として、A子及びBをいずれもアブラソコムツを食して下痢症状を起こした状況を立証するための証人として、それぞれ尋問の請求があり、いずれも採用されて、証人東島弘明については原審第三回及び第四回各公判期日において、証人鹿山光及び同A子についてはいずれも原審第六回公判期日において、証人沢田俊夫及び同Bについては原審第一三回公判期日において、それぞれ取調べが行われている。また、検察官から、東京都中央区中央保健所長作成の捜査関係事項照会回答書謄本(原審検察官請求証拠番号甲第一四号。以下、甲、乙の番号は、原審検察官請求証拠番号をいう。)をアブラソコムツの有害性を立証する証拠として、厚生省生活衛生局乳肉衛生課長作成の捜査関係事項照会回答書(甲第一六号)をアブラソコムツがワックスを多量に含有していること等を立証する証拠として、検察事務官作成の平成三年一一月一四日付け報告書(水産庁東海区水産研究所発行の東海区水産研究所報告及び学会出版センター発行の魚貝類の毒の各写しを添付。甲第三二号)をアブラソコムツが有害物質であること等を立証する証拠として、それぞれ証拠調べの請求があり、被告人(弁護人)がこれらを証拠とすることに同意し、いずれも原審第五回公判期日に採用されてこれらの証拠調べが行われた。一方、原審弁護人らからも、森幹男(東横学園女子短大教授で食品学担当)をワックスを含む食品を摂取することの可否を立証するための証人として尋問の請求があり、証拠調べの決定があって、原審第八回公判期日において取調べが行われたほか、Cをアブラソコムツを食べて下痢をしなかった事実を立証するための証人として、Dを被告人から出荷されたアブラソコムツを販売していた事実及び事故が一切発生していない事実を立証するための証人として、Eをアブラソコムツが食用として一般に供せられている事実等を立証するための証人として、それぞれ尋問の請求があり、いずれも採用されて、原審第九回公判期日においてそれぞれ取調べが行われている。
以上のような審理経過が認められるところ、右のような原審において行われた証拠調べの経過や結果に照らすと、所論指摘の点については、アブラソコムツの肉中のワックスの人体に対する影響について、学問的な見地からの研究結果等のみならず、実際にアブラソコムツやその加工品を摂取した体験に基づく具体的な症状の表れ方などについても、証拠調べが行われていることが認められるのである。したがって、人体に影響するに至るのは、人がどの位ワックスを摂取した場合なのかなどについて、鑑定その他の方法により具体的な数値までは明らかになってはいないとはいえ、アブラソコムツのワックスを摂取した場合に人体に有害といえるか否かについては、十分に審理を尽くしているものということができる。
3 以上要するに、原審の訴訟手続には所論のような審理不尽の違法はなく、論旨は、理由がない。
五 被告人の控訴趣意中、憲法一四条違反の主張について
1 所論は、要するに、次のようなものである。すなわち、被告人以外の業者もアブラソコムツを販売しているのに、右業者に対する捜索や取調べなどは行われておらず、また、保健所法一二条(平成六年法律第八四号による改正により地域保健法一六条)に基づき報告が求められたわけでもないから、被告人のみ取調べなどを受けたのは、法の下の平等を定めた憲法一四条に違反するというのである。
2 そこで検討するに、捜査官が、一定の犯罪構成要件に該当すると思料される被疑事件につき、被疑者を取り調べたり、あるいは捜索等の強制捜査を行ったりし、さらには検察官がその者に対し刑事訴追手続をとるかどうかは、被疑事件ごとに事案に即し、また、被疑者をめぐる事情等を具体的に検討して判断するものであるから、その結果、刑事訴追等をされる者とされない者が生じたとしても、憲法一四条に違反することになるわけではないのはいうまでもないことである。のみならず、当審における事実取調べの結果によると、これまでにも、アブラソコムツやその加工品を販売し、または販売の用に供するために加工し、若しくは貯蔵するなどした者で、食品衛生法三〇条一項、四条二号に該当するとして刑事訴追され、処罰された事例が少なからず存在することも認められるのである。なお、厚生大臣が、地域保健法(旧保健所法)に基づき、地方公共団体の長に対して報告を求めたかどうかは、刑事手続を進めることとなんら関連するものではない。
したがって、本件について捜査が進められ、被告人が起訴されたことにより、直ちに、被告人に対し不当な差別的な取扱いが行われたことになるものでないことはいうまでもないから、所論は、その前提において失当である。論旨は、理由がない。
六 被告人の控訴趣意中、本件につき警察の行った捜索や被告人の逮捕は、法定手続の保障に反するとの主張について
1 所論は、要するに、次のようなものである。すなわち、(1)本件については、食品衛生法一七条の規定に基づき保健所が臨検をすべきであるのに、警察が捜索等を行ったのは、憲法三一条に違反する。(2)仮に、被告人の行為が食品衛生法四条二号に違反するのであれば、行政当局は、司法当局に告発する前に食品衛生法二二条の定めに従って、廃棄命令や営業許可の取消しの処分をしなければならない。そうすると、被告人は、右処分についての審査請求をすることにより、身柄の拘束を受けることなく行政当局と議論することができるのであり、そのような措置をとらずに被告人を逮捕したのは、不当逮捕である。すなわち、警察の行った捜索や被告人の逮捕は法定手続の保障に反するというのである。
2 そこで検討するに、食品衛生法一七条一項においては、厚生大臣、都道府県知事等は、必要があると認めるときは、営業を行う者その他関係者から必要な報告を求め、当該官吏吏員に営業の場所等に臨検し、販売の用に供し、若しくは営業上使用する食品、添加物、器具等の物件を検査させるなどの措置をとることができるとされている。また、同法二二条においては、厚生大臣又は都道府県知事は、営業者が同法四条等の規定に違反した場合においては、営業者若しくは当該官吏吏員にその食品、添加物、器具等を廃棄させ、又は営業の許可を取り消すなどの措置をとることができると定められている。しかしながら、これらの規定に基づいて行われる行政庁の行政処分と、司法警察職員や検察官が刑事訴訟法上認められている様々な権限を行使して行う食品衛生法違反の被疑事件についての捜査とは、それぞれその目的を異にする別個の手続であって、食品衛生法の規定をみても、検察官等が刑事訴訟法上認められた権限を行使するにつき、右のような行政処分が行われた後でなければ右権限を行使することができないというような制約を受けるものでないことは明らかである。所論(1)及び(2)は、本件捜査について判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるという主張も解されるが、いずれも、食品衛生法一七条及び二二条についての独自の見解を前提とするものであって、その前提において失当である。各論旨は、いずれも理由がない。
3 なお、被告人は、右1掲記の所論のほかにも、自己の行為の正当性について種々主張しているが、その主張はいずれも、実質的には本項及び前項で主張しているところと同一に帰するので、これ以上個別的に判断を示すことはしない。
七 弁護人の控訴趣意第二の一ないし四及び六(アブラソコムツ(又はその加工品)が有害な物質が含まれる食品であるとの点に関する事実誤認)並びに被告人の控訴趣意中事実誤認の主張について
1 所論は、要するに、次のようなものである。すなわち、(1)原判決は、アブラソコムツの加工品を販売したり、アブラソコムツやその加工品を販売の用に供するために貯蔵した被告人の本件各所為に対し、食品衛生法四条二号を適用している。しかし、アブラソコムツ及びその加工品には、同号に定める「有害な物質」が含まれていない。すなわち、アブラソコムツは、脂肪中にワックスを含有するが、アブラソコムツを食べた場合でも、下痢症状を起こす人と起こさない人がおり、食品中にどの位ワックスが含有されているか、一度の食事にどの位の量のワックスを摂ると下痢症状を起こすのかなどについては、原審の審理においても解明されていない。また、原判決がアブラソコムツを食べた場合の症状として認定する、油状の便が出たり、便と一緒に油分が飛び散るような状態も、医学上の用語としての「下痢」には当てはまらない。したがって、アブラソコムツの脂肪中に含まれているワックスが「有害な物質」であることの証明がなされていないのに、これを「有害な物質」と認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りがある。(2)また、被告人は、昭和五八年ころ、厚生省がアブラソコムツを食品衛生法四条二号の「有害な物質」を含む食品に認定したことを知り、厚生省にその明確な根拠及び資料を提出してもらいたいと要求したにもかかわらず、同省はその要求に答えてくれなかったことから、アブラソコムツには、「有害な物質」が含まれていないと確信し、そうである以上、アブラソコムツを販売等しても右条項には違反しないと考えてきた。したがって、被告人には、食品衛生法四条二号の罪を犯す意思がなかったのであるから、被告人を有罪と認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りがあるというのである。
2 まず、前提として、食品衛生法四条二号にいう「有毒な物質」が含まれる食品とはいかなる食品をいうのか検討するに、食品衛生法、食品衛生法施行規則(昭和二三年七月一三日号外厚生省令第二三号)その他関係法令をみても、食品衛生法四条二号に定める「有毒な物質」及び「有害な物質」に当たるものを具体的に列挙したり明示したりした規定がないことは、所論指摘のとおりである。しかし、一般的な解釈としては、「有害な物質」というのが、物質それ自体、通常毒物として知られており、かつ、致死量も極めて少量であるなど、人体に及ぼす危害の程度が甚大であるものをいうのに対し、「有害な物質」というのは、「有毒」の場合に比べて、人体への危害の程度が低いか、やや量を多く摂取したり、継続的にとり入れるとき、その危険が増大したり、物質それ自体には毒作用がなくても人の健康状態に物理的に危害又は不良な変更を引き起こすものをいうと解されている。したがって、右のような意味での「有害な物質」を含む食品が、食品衛生法四条二号にいう「有害な物質」が含まれる食品に当たることになると解される。
3(一) 次に、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を合わせて検討すると、まず、アブラソコムツの肉中の成分等に関して、次のような事実が客観的に明らかである。
(1) アブラソコムツは、くろたちかます科に属する魚で、文献等により差はあるものの、その肉中に概ね二〇パーセント程度の脂肪を含んでいるところ、その脂肪のうちの概ね九〇パーセント程度がワックス(高級脂肪酸と高級アルコールのエステル結合したもの)であること
(2) ワックスは、分子構造が大きく、人がこれを摂取しても、リパーゼやエステラーゼなどの消化酵素ではほとんど分解されないため、腸管でも吸収されないで、そのまま排泄されること、その際、ワックスの摂取量が多いと、異常臭を伴う油状下痢便となって排泄され、排便を止めようと思っても止められず、下着を汚してしまう結果となること
(3) また、ワックスそのものも腸管に影響し、腸管の運動が亢進して、食べた物の小腸や大腸の通過時間が速くなり、結局、たん白質や炭水化物等の他の栄養分も吸収されないまま一緒に排泄されてしまうなど、人の分泌吸収の機序が阻害されることもあるが、ワックスが、腸管の痙攣などを引き起こして腹痛等の原因になるというようなことはほとんどないこと
(4) ワックスは、アブラソコムツの肉中に全体的に含まれていて、アブラソコムツの切り身を煮付けしたりした場合や、みそやみりんに漬けて加工した場合でも、肉中のワックスの含有量は、さほど減少しないこと、なお、アブラソコムツの肉をすり身に加工すれば、ワックスの含有量を大幅に減らすことはできるものの、歩留りが悪いことなどもあって、現在まで、アブラソコムツをすり身に加工したものが製品化されたことはないこと
などの事実が、客観的に明らかである。
(二) そして、関係各証拠によれば、アブラソコムツの肉がどのように食べられているかということ、及び、その人体に対する影響等に関し、次のような事実が認められる。
(1) アブラソコムツは、これまでに市販された例では、通常七〇グラムから九〇グラム前後の切り身で、生、あるいは、みそ漬けやみりん漬けなどに加工されて販売されており、被告人も、もっぱら七〇グラムから八〇グラム位の切り身を、同様に加工するなどして販売していたこと、被告人は、これを卸売業者等に販売する場合、魚種がアブラソコムツであることを知らせてはいたものの、商品名としては、「丁原のムツ」とか「ムツ味噌」「ムツみりん」などという表示を用いており、通常販売されている切り身の状態では、魚について素人である一般消費者には、一見してそれがアブラソコムツであると判別することが困難であること
(2) 昭和五一年七月から平成二年六月までの間に、群馬県、栃木県、静岡県、東京都、神奈川県等の保育園や家庭などにおいて、おかずとして出された調理済みのアブラソコムツの煮付け、もろみ漬け、みりん漬け等を食べたことが原因で油状下痢便が出たということで、食中毒事例として各地の保健所に報告されたものが、合計八件あり、摂食者三三三名中右のような油状下痢便が出た者は、保育園の園児や職員等二一五名であったこと、そのため、当該アブラソコムツないしはその加工品を販売するなどした魚介類加工業者等に対し、所轄庁から一定期間の営業停止の措置がとられたり、販売自粛等の行政指導が行われ、実際に販売、加工等がほとんど行われなくなったこと
(3) 右症例をみると、油状下痢便が出た者のうち、アブラソコムツを切り身で一切れ又はそれ以上食べた者もあったが、三五グラムから四〇グラム程度(通常の一切れの半分程度)を食べた幼児や大人にも、右のような症状が出た例も存在したこと
(4) ところで、くろたちまかす科に属するアブラソコムツやバラムツは、古くから食べると下痢を起こす魚として知られ、沖縄では、「胃が緩み、下痢をする」という意味で、「インガンダラメ」と呼ばれており、欧米でも、「ヒマシ油魚」と呼ばれていたこと、アブラソコムツ等を食べた場合の右のような症状の原因について、我が国においても、昭和三〇年代後半ころから学者による研究が行われ、動物実験等の結果、その肉中に含まれる多量のワックスが原因である旨のいくつかの研究結果も公表されていること
(5) そして、まず、バラムツに関し、昭和四四年、東京都でバラムツの煮付けを食べて、右(2)掲記のいわゆる食中毒事例と類似の事例が発生したことから、東京都からの照会に対して、バラムツは食品衛生法四条二号に該当する食品として取り扱うべきものと解する旨の、昭和四五年九月四日付け厚生省環境衛生局乳肉衛生課長の回答がなされたこと
(6) また、アブラソコムツに関しても、右(2)認定のようないわゆる食中毒の事例が発生したこともあって、昭和五五年一一月一二日付けで岡山県衛生部長から照会があり、これに対し、昭和五六年一月一〇日付けで厚生省環境衛生局乳肉衛生課長が「アブラソコムツについては、食品衛生法第四条第二号に該当する食品として取扱うべきものと解する」との回答をし、他の都道府県等の衛生主管部局長らにも右のような回答をしたことを通知したこと
などの事実が認められる。
なお、所論は、右(2)認定の食中毒として報告された事例は、医師の診断を経るなど食品衛生法二七条所定の手続に従って報告されたものではないから、右のような食中毒はなかったものというべきである旨主張する。しかしながら、右のような症状を厳密な意味での食中毒の範疇に含めて考えるかどうかはともかく、関係各証拠によれば、油状下痢便が出るという症状を呈した事例が右(2)認定のとおり発生し、都及び各県の保健所が行った理化学検査、細菌検査、疫学的観点からの統計的手法を使っての検査等の結果、それらがいずれもアブラソコムツを食べたことが原因であることが確定されたということ自体は、明らかであって、この点に疑いを入れる余地はない。所論は、採用することができない。
4 そこで、右3認定のような客観的な諸事実や諸要因に照らし、アブラソコムツ及びその加工品が、食品衛生法四条二号にいう「有害な物質」が含まれるものに当たるか否かを検討するに、右3の(一)認定のとおり、人がアブラソコムツの肉を摂取した場合、肉の脂肪中に多量に含まれるワックスが、体内でほとんど消化吸収されず、そのまま異常臭を伴って油状下痢便となって排泄され、意識してもこれを止めることができないという症状を呈し、また、それに伴って、人体の分泌吸収の機序が阻害されることもあるというのである。この症状は、自然毒や細菌による食中毒などとはかなり異なった状態であり、これを食中毒の範疇に含めて考えるのはいささか疑問がなくはないとはいえ、物質それ自体には毒作用がなくても人の健康状態に物理的に危害又は不良な変更を引き起こすもの(なお、人間の場合、異常臭を伴って油状下痢便を排泄するということ自体、身体の生理的機能になんら障害が生じたものでなくとも、感性的に不快感を伴うものであり、その意味でも健康状態に異常を生じたということができる。)として、食品衛生法上の「有害な物質」が含まれると認めることができるのである。
所論は、通常、アブラソコムツの切り身を一食一切れ程度食べただけでは、右のような症状を呈することはない旨主張し、被告人も、原審公判廷及び当審公判廷において、自らの経験に照らして、三切れ以上食べると右のような症状を呈するが、一食につき一切れ程度であれば、そのような症状は起こらないという趣旨の供述をしている。この点、食品衛生法上、一定の食品が「有害な物質」が含まれるものとして、同法四条二号による規制の対象となるものかどうかを判断するに当たっては、我が国における国民一般の食習慣等から想定される通常の形態の摂取量、摂取方法などを前提に検討すべきであるが、当然に、当該食品を食べる人の個人差、すなわち、幼少のものや健常者でないものが食べるといった状況をも考慮に入れるべきである(しかも、前記3の(二)(1)認定のとおり、一般消費者は、切り身の状態では、アブラソコムツかどうかの判別は困難であるというのである。)。そして、そのような前提の下に考えると、前記3の(二)(3)認定のとおり、アブラソコムツの切り身一切れの約半分の量を食べた場合においても、右の症状が出た事例があることに照らしても、アブラソコムツの切り身を三切れ以上食べなければ、右の症状を呈することはあり得ないということはできないのであり、また、この点は、前記3の(一)(4)で認定したように、加工によってはワックスの含有量がさほど減少しないことに照らし、アブラソコムツの切り身が、生のものであるか、みそ漬けやみりん漬けに加工されたものであるかによって、左右されるものではないと考えられる。
また、所論は、ぼらの卵巣から造るからすみも、アブラソコムツと同じように多量のワックスを含有しているのに、食品衛生法上は有害食品として取り扱われていない旨主張する。たしかに、関係各証拠によれば、からすみは、約八パーセントの脂質を含み、その約七五パーセントがワックスであることが認められる。しかしながら、からすみが、非常に高価な嗜好品であって、通常は非常に少ない量しか食べないものであることも、関係各証拠上明らかであり、したがって、このような我が国の食習慣を前提にして、からすみを食べた場合の人体への影響の程度について検討すると、通常の食習慣どおりからすみが摂取された場合において、油状下痢便が出るというような事態は考え難いものといえる。そうすると、からすみが、食品衛生法上「有害な物質」が含まれる食品として取り扱われていないからといって、アブラソコムツもこれに当たらないということはできない。
5 そして、人がアブラソコムツを食べた場合、油状下痢便を排泄し、意識してもこれを止めることができないというような症状を呈するという事例がしばしば生じるということは、本件当時社会的にも周知のことであったことは、右3の(二)認定の諸事実からも明らかである。また、被告人自身もこの点を知悉し、また、昭和五六年ころからは販売自粛等につき行政措置がとられ、実際的にも加工、販売等が行われなくなったことも知りながら、アブラソコムツを仕入れて加工するなどして販売を続けていたことは、被告人の原審公判廷及び当審公判廷における各供述により十分肯認することができるのである。
したがって、被告人自身としては、本件各犯行当時、アブラソコムツ及びその加工品は、健康に無害であると信じていたとしても、社会一般においては、これを食べた際に表れる症状から、アブラソコムツ及びその加工品には食品衛生法四条二号にいう「有害な物質」が含まれていると認識され、これに基づき一定の行政措置がとられ、実際に販売等が行われなくなってきていることを承知していたのである。したがって、被告人にアブラソコムツ及びその加工品が食品衛生法四条二号によって販売等が禁止されている食品であることの認識のあったことは、十分に認定することができ、かつまた、被告人に所論指摘のような意味での罪を犯す意思ないし違法性の意識のあったことも肯認できるのである。
6 以上から結局、関係各証拠を総合すれば、アブラソコムツ又はその加工品が食品衛生法四条二号にいう「有害な物質」が含まれる食品であることは優に肯認でき、また、この点被告人の故意にも欠けるところはないと認められるから、原判決には、これらの点につき所論のような判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りはない。論旨はいずれも、理由がない。
八 弁護人の控訴趣意第三の一(食品衛生法四条二号によって処罰することが憲法三一条に違反するとの主張)について
1 所論は、要するに、次のようなものである。すなわち、食品衛生法四条二号に定める「有害な物質」とは何を指すのか、同法には全く明示されていない。してみると、同法四条二号を処罰法規として適用するのであれば、「有害な物質」が法令上明規されていないのであるから、同号は罪刑法定主義の原則を定めた憲法三一条に違反する無効な規定であり、このような法令を適用して被告人を処罰した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の適用の誤り(所論は、訴訟手続の法令違反というのであるが、その主張内容に照らし、法令の適用の誤りの主張と解される。)があるというのである。
2 そこでまず、食品衛生法四条は、前にもみたように、柱書に「左に掲げる食品又は添加物は、これを販売し(不特定又は多数の者に授与する販売以外の場合を含む。以下同じ。)又は販売の用に供するために、採取し、製造し、輸入し、加工し、使用し、調理し、貯蔵し、若しくは陳列してはならない。」と規定し、二号に「有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは附着し、又はこれらの疑いがあるもの。但し、人の健康を害う虞がない場合として厚生大臣が定める場合においては、この限りでない。」と規定している。しかし、前記のように、食品衛生法や食品衛生法施行規則等において、「有毒な物質」や「有害な物質」を具体的に規定し、あるいは、「有毒な物質」又は「有害な物質」が含まれた食品を具体的に列挙したり明示したりした規定がないことは、所論指摘のとおりである。この点、そもそも食品や添加物というのは多種多様であるばかりか、時代の進展に伴い、世界各国から新しい食資源が求められて国民の飲食に供されたり、新規の添加物が開発されることも少なくないなど、これらの物が新たに生起することもあることに照らして考えても、それらの食品等に含まれている物質のうち、有毒又は有害なものを、法令上個別具体的に全て網羅して列挙しなければならないとすることは、およそ不可能を強いるものというほかない。また、法令の規定をそのような個別列挙によろうとした場合、新しく発見されるなどした有毒又は有害な食品や添加物を迅速かつ適切に法的な規制の対象とすることが困難となり、ひいては、「飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止」(同法一条)するという食品衛生法の目的をまっとうすることができなくなるおそれもある。とはいえ、食品衛生法四条二号の規定に違反した者に対しては、同法三〇条により、三年以下の懲役若しくは二〇万円以下の罰金を科し、又は懲役と罰金を併科することができるのであるから、犯罪構成要件を定めた規定としてみるときは、同法四条二号は、その文言が抽象的であり、有毒な、若しくは有害な物質が含まれたりしたもののほか、その「疑いがあるもの」にまで適用される旨定めていることから、適用範囲もかなり漠然としたものになっている。しかも、アブラソコムツについての適用をみても、前記昭和五六年一月一〇日付け厚生省環境衛生局乳肉衛生課長の回答の前提となった、岡山県衛生部長の昭和五五年一一月一二日付け照会書には、「ワックスを多量に含有する魚(アブラソコムツ)は、宮崎県、高知県等で相当量水揚げされていますが、この取扱いについて、さきに本県で開催された瀬戸内沿岸関係府県市食中毒対策協議会(一府一二県四市出席)で協議したところ、下記事項(注、食品衛生法四条違反の食品として措置してよいかどうか等)について結論を得ることができなかったので、何分の御教示をお願いします。」と記載されており、この当時においては、法文上、アブラソコムツが有害な物質が含まれている食品に該当するとは明確に読み取れていなかったことが窺える。いいかえると、その以前においては、アブラソコムツの加工や販売などが処罰されていなかったことが窺え、右昭和五六年一月一〇日付け厚生省環境衛生局乳肉衛生課長の回答があった後は実際に処罰される事例が出たため、現象的には、白地刑罰法規であった同法四条二号の規定を行政官庁の一担当者の回答によって補充されたとみられるような事態が生じていたのである。こうした観点から、同条の規定については、犯罪構成要件を定める規定としては明確さを欠いているといわれてもやむを得ないように思われる。
しかしながら、刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反すると認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読み取れるかどうかによってこれを決定すべきものと解される。そして、アブラソコムツについてみると、前記七において検討したように、本件各犯行当時においては、人がアブラソコムツを食べた場合、その肉の脂肪中に多量に含まれるワックスが、体内でほとんど消化吸収されず、そのまま異常臭を伴う油状下痢便となって排泄されることになり、意識してもこれを止めることができないという症状(なお、人にとって、異常臭を伴う油状下痢便を排泄するということ自体、身体の生理的機能になんら障害が生じたものでなくとも、感性的に不快感を伴うものである。)を呈することがあるということが明らかになっていたのであるから、「有害な物質」につき、物質それ自体には毒作用がなくても人の健康状態に物理的に危害又は不良な変更を引き起こすものがこれに当たるという一般人の通常理解可能な基準に基づいて判断しても、アブラソコムツにつき、有害な物質が含まれた食品であるとして、食品衛生法四条を適用することが可能である。すなわち、同条においても、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的にアブラソコムツにつきその適用があるかどうかという判断を可能ならしめるような基準が読み取れるということができるのである。のみならず、アブラソコムツやその加工品が異常臭を伴う油状下痢便を排泄するに至るおそれのある食品であることは明白であり、本件各犯行時にはすでに社会一般にもよく認識されていることであったのであるから、同条を、アブラソコムツ及びその加工品を販売し、あるいは販売の用に供するために貯蔵したという被告人の所為に適用する限りにおいては、何ら明確性に欠けるところはないのである。したがって、同条は、文言としては抽象的であるものの、「有害な物質」についての基準を読み取ることも可能であり、アブラソコムツの販売等に適用するに当たっては明確であるということができるから、内容不明確な規定として憲法三一条に違反するものではないということができる。
以上要するに、本件に関し、食品衛生法四条二号の規定は憲法三一条に違反する無効な規定ではなく、同法三〇条一項、四条二号を適用して被告人を処罰した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の適用の誤りがないことは明らかである。論旨は、理由がない。
九 弁護人の控訴趣意第二の五(原判示第三の事実に係る事実誤認の主張)について
1 所論は、要するに、次のようなものである。すなわち、原判決は、罪となるべき事実第三として、被告人は、平成三年一一月六日、東京都中央卸売市場築地市場内の卸売業者丙川魚類株式会社荷置場において、有害な物質が含まれる食品であるアブラソコムツの加工品一〇甲を、販売の用に供するため貯蔵した旨認定判示しているが、被告人は、右加工品を丙川魚類株式会社に販売を委託して引き渡したに過ぎず、「貯蔵」したものではないから、これを被告人が「貯蔵」したと認定判示した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りがあるというのである。
2 そこで、原審記録を調査して検討すると、原判示第三の事実に係る関係各証拠によれば、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 平成三年一一月六日、東京都中央卸売市場築地市場の卸売業者である丙川魚類株式会社(以下「丙川魚類」という。)の右築地市場水産物部塩干卸売場に、被告人が経営する丁原水産のアブラソコムツの加工品(みそ漬けにした切り身で、「ムツミソ」という品名のもの)一〇甲(以下「本件加工品」という。)が、委託品として送り付けられ、同日午前三時ころ、丙川魚類により受理されたこと
(2) 本件加工品は、本件前日に、被告人が、丙川魚類に卸売を委託する目的で、同社を荷受人として、運送業者に運送を依頼して渡したものであったこと
(3) ところで、卸売市場法三六条二項により、卸売業者は、委託の申込みがあった場合には、正当な理由がなければ、その引受を拒んではならないものとされていることから、丙川魚類は、送り付けて来られた本件加工品をそのまま受理したものであったこと
(4) また、同法三八条により、卸売業者は、中央卸売市場における卸売の業務については、原則として自己の計算において卸売をしてはならないものとされていることから、卸売の委託者と卸売業者との関係は、通常の場合、委託者側が、あらかじめ商品の発送前に、商品の品名や量目のほか、希望販売価格(指値)の連絡をし、卸売業者が、その価格で卸売して、委託手数料(卸売金額の五・五パーセント)を受け取るというものであり、売れ残った場合にも、委託者の意向により、翌日売るか、返品するか、あるいは他市場への転送などが決定されること
(5) ところが、本件加工品については、委託者である被告人から、事前に希望卸売価格等の連絡がなかったことから、丙川魚類の担当者は、見本として一甲をせり場に並べたものの、被告人に対して、希望卸売価格を問い合わせるつもりでいたところ、右一一月六日午前四時三〇分ころ、商品を下見に来ていた水産物売買参加者から、本件加工品が、販売することができないアブラソコムツである旨の指摘を受けたため、本件加工品の卸売を中止したこと
などの事実が認められる。
右認定の各事実によれば、被告人が本件加工品を丙川魚類にあてて発送し、同社に卸売を委託したとはいっても、同社に受理された本件加工品は、あくまでも同社が被告人の計算においてその卸売をすることが予定されたものであり、丙川魚類は、それを卸売した場合でも、委託手数料を取得するに過ぎないというのである。このような被告人と丙川魚類との委託関係に照らし、本件加工品は、現実に卸売されるまで、その所有権は被告人に留保されているのであり、被告人から卸売の委託を受けた丙川魚類が、現実に卸売するまでの間、被告人のためにこれを保管していたものというべきである。すなわち、本件当日、本件加工品が丙川魚類によって受理されてから、現実に卸売がされないうちに、本件加工品の卸売が中止されるまでの間、本件加工品は、被告人が、丙川魚類を介して、食品衛生法四条二号にいう「貯蔵」したものということができるのである。
3 以上から結局、原判示第三の事実に係る関係各証拠によれば、原判示第三の事実は、被告人が本件加工品を「貯蔵」したと認定した点を含め、合理的な疑いを越えてこれを肯認することができるのであって、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りはない。論旨は、理由がない。
一〇 量刑について
ところで、職権により、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を合わせて検討すると、本件は、丁原水産の名称で鮮魚商を営んでいた被告人が、平成三年四月四日、有害な物質が含まれる食品であるアブラソコムツの加工品一四甲を販売し(原判示第一の事実)、同年六月二四日、アブラソコムツ約一万一一六〇キログラムを、自己の保有する倉庫において、販売の用に供するために貯蔵し(原判示第二の事実)、同年一一月六日、アブラソコムツの加工品一〇甲を、前記築地市場内の丙川魚類荷置場において、販売の用に供するために貯蔵した(原判示第三の事実)という事案であるところ、原判決は、被告人を懲役六月に処する、ただし二年間右刑の執行を猶予するとの刑を量定している。
そして、本件各犯行の経緯、状況等をみると、被告人は、長年にわたり、鮮魚商として魚の卸に携わっていたもので、当初は、主としてまぐろの卸をしていて、アブラソコムツの取扱量は三割程度であったが、昭和五六年ころ、アブラソコムツが有害な物質が含まれる食品に当たるとして実際上販売のできないものになったにもかかわらず、かえって仕入れ価格が暴落し、利益幅が大きくなったこともあって、その後、アブラソコムツの取扱量を増やしていたことが窺える。しかも、被告人は、原判示第一及び第二の各犯行につき起訴された後、警察官らに押収されずに残っていたアブラソコムツの販売を再開しようと考え、原判示第一の犯行につき起訴された直後保釈され、身柄が拘束されていない状況にあったのを幸い、またも原判示第三の犯行に及んだものである。被告人は、アブラソコムツは食べ過ぎさえしなければ有害な食品ではないと強く主張し、自分の考えに固執した形で本件各犯行を繰り返したものであるが、アブラソコムツやその加工品が有害な物質が含まれる食品に当たることは、前記七で認定したとおりであり、被告人自身も、これを食べれば油状下痢便が出るという症状を呈することがあること自体は知悉していたのであって、結局、アブラソコムツの有害性に対する被告人の考え方は、一般消費者の個人差等を度外視した独自の考え方というほかなく、その意味で、本件各犯行に及んだことにつき特に酌むべき事情があるということはできない。なお、被告人には、昭和三六年及び昭和四六年に傷害罪により各一回罰金刑に、昭和四七年から昭和五一年までの間に、業務上過失傷害罪により三回罰金刑に処せられた前科がある。したがって、以上の諸点に照らし、被告人の刑事責任は、決して軽いものということはできない。
しかしながら、アブラソコムツ及びその加工品は、食品衛生法上有害な物質が含まれる食品に当たるとはいえ、その人体への具体的な影響は、その肉中に含まれるワックスが体内で消化吸収されず、異常臭が伴う油状下痢便となって排泄され、排便を止めようと思っても止められず、下着を汚してしまうという程度のものである。ワックスそのものが腸管の運動を亢進させて、人の分泌吸収の機序が阻害されるおそれもあるともいわれているとはいえ、ワックスが腸管の痙攣などを引き起こして腹痛等の原因となるというようなことはほとんどなく、この点で、ワックスが原因となった食中毒といわれる症状は、他の細菌性の食中毒などとは大きく異なっている。すなわち、アブラソコムツ及びその加工品を食べた場合の人体への有害の程度は、さほど大きいものとはいえず、直ちに生命の危険をもたらすおそれがあるということも考え難いのである。昭和五八年以降に本件と同種事案につき処罰された事例をみても、いずれも罰金刑にとどまっているのも、アブラソコムツの有害性についての右のような事情が考慮されたものと窺えるのであり、被告人に対する量刑に当たっては、右のような同種事案における量刑の一般的状況をも考慮することを要するものというべきである。また、被告人が有害食品の販売等で処罰されるのは今回が初めてであり、被告人の前科前歴をみても、前記のとおり、一九年以上前に傷害罪及び業務上過失傷害罪により五回罰金に処せられた前科があるだけである。
そうすると、右のような本件各事案の内容、規模、罪質に加え、被告人の前科、同種事案における処罰例その他、被告人に有利、不利な諸情状を総合して考えると、本件各犯行について、懲役刑をもって臨むのは執行猶予付きとはいえ重きに過ぎ、罰金刑を科するのが相当と考えられるので、原判決の量刑は、結局のところ、不当であるというほかない。
よって、刑訴法三九七条一項、三八一条を適用して原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により、更に被告事件について判決する。
原判決が認定した罪となるべき事実に法令を適用すると、原判示第一ないし第三の各所為はいずれも食品衛生法三〇条一項、四条二号に該当するところ、各所定刑中いずれも罰金刑を選択し、以上は平成七年法律第九一号による改正前の刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により各罪所定の罰金の合算額の範囲内で被告人を罰金三〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、東京都港区《番地略》株式会社甲野品川埠頭物流サービスセンターで保管中のアブラソコムツ約一万一一六〇キログラム(平成三年東地庁外領第三一三五号符号11及び符号12)は、原判示第二の犯罪行為を組成した物、同保管中のアブラソコムツの加工品一〇甲(平成三年東地庁外領第五七八四号符号1)は、原判示第三の犯罪行為を組成した物で、いずれも被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項一号、二項本文を適用してこれらを没収し、原審及び当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松本時夫 裁判官 円井義弘 裁判官 岡田雄一)